誰も必要としていないし、誰の為にもならない、そして誰も得をしない・・
しかし!
あっこさん、あなたの為に・・
私、風邪ひかないんです☝
実は以前、おそらくコロナ関連の投稿で僕が「風邪をひいた記憶がない」と書いたらしく・・
おそらくTwitter並みの軽い返しを期待していたのだと思いますが、暇だからこんな記事書いちゃいましたよ。このサイトへのコメントは、僕のスマホにリアルタイムに届かない設定にしているので遅くなってスイマセン🙏
さて・・
一般的にみんながどれくらいの頻度で風邪をひいているのか分からないのですが、確かに僕はこれまで風邪をひいた記憶がない。
しかし赤ん坊を卒業して以降、体だけは丈夫になります。
当然、風邪で何かを休んだ記憶もなく、軽い咳や鼻水はあったが、それを「風邪」と呼べるのかどうか・・
まぁ、風邪で苦しんだ記憶がないっていうんだから、じゃあ一体どんな対策をしているのか書いてみますよ。
僕の感染症対策
結論から言うと大した事はしていない。
おそらくは普通の人と同じで・・
- 帰宅時、手洗いをする
- 外出時、マスクをしない
- 寝る時のみマスクで喉を保湿
- エアコンを一年中つけっぱなしにしている
- 好きな事をしている
- そうだ空気清浄機(加湿)も一年中回ってるかも
ん〜、絞り出してみたがやはり大した事はしていない。
僕は潔癖症でもないので外出先でベタベタと物を触ったり、余程の人混みに行かなければ手洗い・うがいまではしないかもしれない。
僕は口を開けて寝る傾向があるらしく、保湿の為に寝る時はマスクをしている。(個人的にはコレが一番風邪予防になってると感じている)
それと外出時にマスクをした事は一度もない。
家の中は部屋だけでなく、廊下やトイレなども快適な温度にする為にエアコンは常に3台はつけている。空気清浄機も一年中つけっぱなしだ(冬場は加湿器も)
よく「寒暖の差が体の免疫力にいい」とか言ってエアコンをつけないで我慢してる人間を知っているが、そういった人間程、毎年風邪をひいている。
スポーツは好きなので一年中適度に汗をかいている。サーフィンやスノボたまにマラソン、忘れた頃にジムで体を程々に鍛えたりもしている。
しかし、こうやって絞り出してみても、果たして「対策」と呼べる様な事をしているのかと言われれば、おそらく普通の人並みの事しかしていない。
そう考えると結局は・・・
遺伝子レベルの問題じゃないの?
僕の知り合いで毎年インフルエンザの注射を受けていて、潔癖症なみにウィルス対策やマスクを夏でもしてるのに、毎年風邪で苦しんでる男を知っている。彼をたまに二郎系のラーメン屋に連れて行く事があるんだけど、脂にやられてよくお腹も壊している。焼肉に連れて行ってもよくお腹を壊している。
もちろん僕は、風邪もひかないしお腹も痛くなった事もないし頭が痛くなる事もない(経験はあるけど)
無頼漢を気取る訳ではないが、独身の頃は酒にタバコに常に睡眠不足を繰り返していたのに体調を崩さないのは、元々の遺伝子レベルが影響しているとしか説明ができないのではないだろうか。
僕の両親も若い頃から病気とは無縁の人達だったそうなので、その遺伝子を引き継いだのだろう。
しかし今回のコロナウィルスは、優性論や精神論では防ぎようがないほどの強力な感染力がありそうなので絶対に油断は禁物だ。

ついこの前までは、気にせず外食もしまくっていたが流石に先週からは控えている。
車で直接、海山川など明らかに他人との濃厚接触がない場所へは子供を遊びに連れて行ってもいい気もするが、ここで「我慢」を覚えさせるいい機会なのかもしれない。
ちなみに僕の両親はそれまで一切病気知らずだったのに、ある時ふっと思い出したかの様に、若くしてほぼ同じ時期に病気で亡くなってしまった。
おそらく僕もそうなるのだろう。
この世界には「正負の関係」というものがあって、何かを手に入れるならば何かを諦めなければならないという理がある。
頑丈な体に産んでくれた両親には感謝してるが、おそらくその必要以上な健康と引き換えに何かを諦めねばならない時がきっとくるのだろう・・
あるがままに生きられないのだろうか?
またコロナの話題なんですけどね・・
僕はどうしてこれ程、なぜ今回「コロナウィルス」でこれほど世界がパニックになっているのだろうと考えている。(インフォデミックによる部分が大きいが)
毎年、季節性のインフルエンザで数百万人という人が亡くなっているのは、確か前回に書いていたと思う。
大人だって赤ちゃん・子供だって毎年、沢山インフルエンザで亡くなっているのだ。別にコロナだけで死んでしまう訳ではない。
世界では1秒間に1.8人の人間が、コロナ以外の原因でも亡くなっているのだ。
これからだって数年おきに新型のウィルスは必ず発生するが、その度に恐怖を煽り、都市を封鎖するつもりなのだろうか?
そうやって都市機能を停止させ、元気で働き盛りの人達の仕事を奪い、ローン返済や事業を断念しての自殺者が増え、国が貧困世帯に金をバラまく事が本当に正しい事なのだろうか?
あるがままではダメなのだろうか?
つまりワクチンが開発されるまでは、体の弱い高齢者が沢山亡くなり、働く世代でも亡くなる人も一定数はいるだろう。子供達は基本的に親が守るしかない。
それまでは自分の身は自分で守る。高齢者や弱者などは行政がサポートし、自主的に外出を控える。(パチンコや飲みに行く老人は問題外)
自然淘汰の結果、大量に高齢者が亡くなってしまうかもしれないが、次の若い世代が「種の保存」を本能的に感じて、ベビーブームが来る可能性だってある。(東日本大地震の直後も10%近い大幅な伸びがあった)
そういった大いなる循環を、あるがままに受け入れる事はできないのだろうか?
それが自然の摂理に沿った暮らしであり、正しい生き方なのではないだろうか。
別に高齢者が死んでいいと言ってる訳ではなく、そういった大いなる循環をいつから人類は受け入れる事ができなくなったのだろうか。
いつから人は、病気やウィルスや自然災害は、克服できるものだと思い上がるようになってしまったのだろうか。
もし、こんな事を著名人や芸能人が書いたりすれば人権派の方々からの大炎上は免れないだろうが、こんなサイトであれば何でも書けちゃうんです☝
街角の隅で生きている猫さんは何でも言えちゃうんです・・
「死の準備教育」アルフォンス・デーゲン神父
おそらく僕は、「死生観」が特殊だから上の様な、どこか感情が欠如している様な事が言えるのかもしれない。
それはつまり、僕はいつ死んでもいいと本気で思っている。
明日、死ぬ事になっても「仕方ないか・・」とさえ思っている。
若い頃からそう考えてたし、子供ができて大切な人が増えてもその考えが変わらなかったから、おそらくこの先も変わらないのだろう。
別に人生に対して投げやりになってるのではなく、「いつ死んでもいい」と思えるからこそ、好きな事をして生きているし、今この瞬間も大切に生きれるという事もある。
今、世界に必要なのは「死生観」ではないのだろうか?
人はいつか必ず死ぬ。金持ちだろうと貧乏人だろうと、子供だろうと老人だろうと、美人だろうとブサイクだろうと、善人だろうと悪人だろうと「死」は誰にでも、いつでも理不尽に平等に降りかかってくる。
宗教観にもよると思うが、現代人は「死」をどこか遠い彼方の出来事の様に捉えているように見える。特に自分の「死」については。
だから今回の様な騒動が起こると、情報が錯綜し、自分だけは何としても助かりたい=みんなもそうするべきだと全体主義的な圧力が起こり、ついには「都市封鎖」という大パニックまで起こってしまうのだ。
「死」は、遠い彼方にある訳ではなく、それぞれが自らの内側に内存してるほど近い場所にあるものなのだ。
「死」とは、「生きる」とはそういう事なのだ。
それを認める事のできない人間は自らの死の確率が少し上がっただけで、恐れパニックを起こし大騒ぎをする事になる。
人は普段から、自らの「死」を意識するだけでより充実した輝きのある人生を過ごす事ができるのだ。
昔、アルフォンス・デーゲン(現上智大学名誉教授)の講演を聞いて「死」について、しばらく考えていた事がある。
彼はとてもユーモアセンスがあり、優れた哲学者だ。「死」が怖くて仕方のない人達は、彼の「死の準備教育」を読んだらいい。
まぁ、死の準備をしようがしまいが一刻も早くコロナ騒動が収まってほしいものだ。
せめて今まで僕が出会った人達・その関係者全ての人達に何事もなければと祈ります。
医療関係者の皆様、介護関係者の皆様、本当に頭が下がります。