2020年10月11日
ペヤング,ガーリックパワー

 

もう10月になったというのに雨の合間を見つけ、わずかに聞こえる悲しい音色はパートナーを見つける事ができなかった悲しいオスの最期の叫び声なのだろうか。

「リィーーン  リィーーン」

「リンリンリンリンリンリン・・・」

時間は夜の8時。大人が寝るには少々早い。
僕は布団の上で横になり、わずかな寝息を立てながら辺りの様子に耳を澄ます。

「チンチロリン チンチロリン」

薄目を開け部屋の様子を伺うと、まだ寝たくない娘たちは、常夜灯のわずかな明かりを頼りに布団の上をゴロゴロ転げ回り最後の抵抗を続けている。

普段は風呂とご飯を済ませれば一時間ほどでウトウトしてくれるのだが、今日は久しぶりのディズニーに朝から張り切りすぎて、体は疲れ切っているのに、興奮状態が冷めきれずなかなか寝付けないのだろう。

「リィーーン  リィーーン」

こんな時は「早く寝なさい」と無理に寝かしつけるのではなく、どれだけ動き回ろうがちょっかいをだされようが、徹底的に寝たフリをしていた方が結果的にこちらに釣られ早く寝落ちしてくれる事が多い。

早い時には5分程で落ちてくれるのだが今日はどうだろう・・・

「チンチロリン、、、チンチロリン」

布団から転げ落ちた小さな足は、畳を引きずりローテーブルに手を掛け、麦茶のペットボトルを手に取りフタを回している。

「カラ カラ カラ」

「リィーーン コクゴク リィーーン…」

「コクコクゴク リンリンリンリン……」

麦茶のフタはそのまま机の上に、今度はテーブルの向こう側へ歩く足音。
わずかな明かりを頼りに今日お土産で買ってやった手持ちの扇風機を手に取りると「カチッ」と電源を入れた。

羽が回りLEDの光る文字が輝きだすと、その何色にも変化する光が、何とも嬉しそうに見つめる下の娘の顔だけをぼんやりと浮かびあがらせていた。

宝物を得た彼女は踵を返しこちらにやってきた。また僕はまぶたをしっかり閉じ、耳だけで彼女達の気配を確認する。

そう言えば昔飼っていた愛犬も宝物は決まって寝床に持ってきていた。

「リィーーン」

「リィーーン」

・・・

それにしても鈴虫の音色はなぜこんなにも美しく情緒的なのだろうか・・

秋の夜長、メスに精一杯の求愛行動を示そうと一晩中鳴き続けるそのオスの叫びに、どこか切なく同じ「男」としてどこか共感する部分があるのだろうか・・

では・・、そう言えば…。

女は、鈴虫が奏でるその美しい求愛の響きについて何か思うところと言うか、、「女」としてどこか情緒的に感じる部分があるのだろうか・・・

いや、そもそも彼女たちは鈴虫の「声」が聞こえているのだろうか?

・・

いや…、今まで一度も彼女たちに「鈴虫の声」について聞いた事はないが、おそらく女というものは現実的な生き物で、男の様にどうでもいい事にロマンを感じたり、情緒やわびさびの中に美を見つけ感傷的になるという事があまり得意ではないのだろう。

そう、、彼女達はとても現実的なのだ。
過去や未来に思いを馳せセンチメンタルになるよりは、今日や明日を確実に安心して生きたいと願う生き物なのだろう。
おそらくは子供を身ごもるという事に関係があるのかもしれないがよく分からない。

そういえば「鈴虫」と言えばこんな話しを思い出した、、

 

外国人は虫の「声」が聞こえない

 

今まで外国人とコミニケーションを取ってきた中で、とても衝撃的な体験をした事がある。

彼らは虫の「声」が聞こえないのだ。

以前カナダのある山に行った時、蝉しぐれのように鳴く鈴虫のような虫の音色について老夫婦に話題を振ると、「全く聞こえない」と言うのだ。何度耳に手を当てて聞こうとしても「Nothing!」と、最後はもうお互いに肩を叩いて笑い合っていた。
老人だから聞こえないのかと、後から来た若い女性にまた虫の音について聞いてみたがやっぱり聞こえない。

どれだけ耳をすましても、彼等はやはり聞こえないようだった。

同じような体験をカリフォルニアと中国でもする事となり、こうなると自分の方がおかしいのかと不安になったが、その答えは数年後にある一冊の本との出会いにより突然解決する事となる。

 

なぜ日本人には聞こえる虫の「声」が外国人には聞こえないのか?

 

東京医科歯科大学角田忠信名誉教授により書されたこの本はまさに僕が知りたかった外国人との感性の相違が化学的アプローチにより語られていた。

 

 

鈴虫のくだりは、日本人の脳と他民族の脳の違いを生理学的に追求し実験していく過程で明らかにされていく。

結論を書くと、やはり日本人は虫が発する音を「声」として聞く事ができるが、外国人は聞く事すらできない人が多いという。

それは人種や民族的な問題ではなく、「日本語」という言語と「自然観」が深く関わっていて幼い頃、最初に覚えた母国語が日本語だと「日本型の脳」というものになるという。

自然観における日本人と外国人の感性の相違

 

日本人は古来より自然界の事象に対して擬音語を当てはめるのが得意で、外国と比べると高度に発達してきたという。

例えば、波は「ザバーン」、雨は「シトシト」、風は「ビュービュー」、川は「サラサラ」など、当たり前の様に自然界の事象に擬音を当てはめてきた。

子供にしては生まれた時より、犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」、豚は「ブーブー」、牛は「モーモー」、と擬声語をそのままその生き物として捉え、親は小学生くらいまで子供に対して「ワンワン可愛いねぇ」などの使い回しを普通にするが、海外ではそんな使い方は聞いた事がない。

ここで改めて日本が「虫の声」とどのように付き合ってきたのかを考えてみたい。

日本には古来より(万葉集など)虫の音を楽しみ聴き入るという文化が存在していた。天皇の御歌にも虫の音は度々使われている。

夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
        万葉集  

 

また近代に入り童謡にも虫の音を楽しむ文化がある。

ああ松虫が鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン

あれ鈴虫も鳴きだした
リンリンリンリン リーン リン

秋の夜長を鳴きとおす
ああ おもしろい 虫の声

 

我々日本人は八百万の神で分かるように、あらゆる自然物と生きとし生けるものには神が宿り、「声」や「思い」があると信じてきた。

しかし欧米などは(特にキリスト圏)、自然は克服するものであり恐れはあっても、「自然と共存」という意識は基本的にはない。

自然は克服するものだと考える彼等には、虫の音を楽しむという風習や文化もない。虫は全て害虫であり、その鳴声も全て雑音という捉え方をする。

雑音というものは、つまり雑音だ。

虫の音をどちらの脳で聞くのか?

 

人間の脳は右脳と左脳に分かれていて、それぞれの役割と得意分野がある。

一般的に左脳は言語脳と呼ばれ、言葉の理解や論理的思考の処理をしている。
一方、右脳は音楽脳と呼ばれ、音楽や機械音・雑音などを処理している。

街中で車が走るタイヤの音を我々はいちいち気にしたりしない。気にすれば認識はできるが、他に注意が向けばほぼ無音に近いくらい気にする事がなくなる。

これはもちろん右脳がタイヤの音などを雑音として処理してくれている事により、我々はそれ以外の別の事に集中できるのだ。
エアコンの音や生活音も右脳の処理により気にならなくなるという。

ここで角田教授は様々な実験を繰り返し、幼少より虫の音さえも擬声音として親しみを持ってきた日本人は、虫の音を左脳(言語脳)で受け止めているのに対して、虫全般を害虫としか見ていない欧米人は虫の音を右脳(音楽脳)で受け止めている事を発見したのだ。

つまり日本人は虫の音を「声」として認識しているのに対して、外国人は「雑音」として脳が処理しているので聞き取れないという事だ。

このような特徴は世界でも日本人とポリネシア人だけで、同じ東アジアの中国や韓国でも欧米型の反応を示すという。

当然、個人差があるのは当たり前としても角田教授の研究(日本語人の脳)はなかなか興味深い。

 

・・・

 

そうこうしてるうちに子供達は僕の腕枕で夢の中へ

 

 

ゴマ
そろそろ行くよ

 

 

まだいいじゃないか・・

 

 

もう少し・・・

 

 

もう少しこのままで・・・

 

ゴマ
ペヤングを食べるのはお兄ちゃんだけなんだよ

 

 

・・・

 

 

 

男には負けると分かっていても戦わなきゃいけない時がある
絶対に無理だと人に笑われても、越えなければならない壁がある。

 

勝つか負けるかは重要じゃない・・

 

やるか・・ やらないかだ

 

 

 

、いきます・・

 

ペヤングGIGAMAXガーリックパワー! 深夜のガチ対決!

 

ペヤング,ガーリックパワー

 

・・・

 

 

書こうと思ったけど、制限時間の20分が過ぎたのでやっぱり寝ます

 

ゴマ
ではまた明日

 

 

おやすみなさい・・

 

・・・

 

・・

 

 

 

鈴虫と秋の夜長を味わう…からの【ペヤング】超超超大盛りGIGAMAXガーリックパワーは本当に朝立ちMAXだった!

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