「彼は、NHK児童合唱団に所属してたから…」
彼女はまた同じ事を言った。
おかげで僕は、またこの言葉の意味を考えない訳にはいかなかった。
最初にそのフレーズを聞いたのは・・
あれは… いつどこのフェスだったろうか。
僕と彼女は毎年夏になると必ずどこかの野外フェスに参加していたが、その時たまたま「エレファントカシマシ」というバンドが出演していて、そのボーカル(宮本浩次)について話をしていた。
「僕はあまり好きなスタイルではないな」っと言い、彼女も同じ意見だったが…
「でも彼は、NHK児童合唱団に所属していたのよ」
確かそんな風に言っていた。
それと… いつだったか車のラジオから流れてきた彼等の代表曲「今宵の月のように」を僕が知っている範囲で口ずさみ 「この曲は低音に入るところがマイクを通しにくそうだね」と言った時にも彼女は同じ事を言い、やはり僕は運転をしながら「NHK児童合唱団」について考えていた。
またある時、僕の友人で別の児童合唱団に所属していた2人を思いだし、彼等もやはり歌が上手かった事を彼女に伝えた。
「あのね、それじゃあ意味がないの」
彼女はそう言って読みかけの「オネーギン」を見開きのまま床に置き、隣で膝を抱えた状態で横になっていた僕は、また「NHK児童合唱団」について考えていた。
その事について彼女に直接聞いてもいいし〝siri〟に聞けば済む事だが、おそらくそこに僕の求める答えは存在しないだろう。
答えの分からない余韻はより彼女を魅力的に映し、僕の人生をより豊かにしてくれる。
異邦人
一体この曲は誰が作詞したのだろうか…
「宮本浩次-ROMANCE-」というアルバムトラックから推測すると、おそらくこの曲も女性の歌で昭和の名曲と呼ばれているのかもしれないが僕は初めて聴いた。
とても不思議な曲だ
まず「異邦人」という表現自体あまり聞かない単語だが、「異なる邦人」で=「外国人」という意味になるのだが、ただの「外国人」というタイトルにしてしまうと、途端にこの曲の雰囲気が崩れてしまう。おそらく文学的表現なのだろう。
「異邦人」というタイトルを最初に見た時、異邦人=異教徒=ユダヤ人=流浪の民=悲しみ、そんなイメージを持ち、更にはフランスの小説家、カミュの代表作「異邦人」の〝理不尽さや不条理〟のイメージが混ざり合い、混沌とした深い悲しみを感じた。
メロディラインはエキゾチックでどこか懐かしい感じがする。しかし、1番の歌詞を聴いてみるとどこか抽象的で全体的にあまり異国情緒を感じない。
この曲の凄い所は特に2番の歌詞だと思っている。
例えば中近東を舞台とした曲で、中森明菜の「SAND BEIGE-砂漠へ-」という曲がある。
しかしこの曲は、あまりも直接的な地名やワードが入っている為、聴き手の想像力を全く必要としない。
「異邦人」は、2番に入ってから〝市場〟〝石畳の街角〟〝祈りの声〟〝蹄の音〟〝歌うようなざわめき〟〝不思議な道(シルクロード)〟
たったこれだけの匂わせワードとメロディーの旋律で、僕はトルコ・イスタンブールに佇み、ジャーミーの夕陽と鐘の音を思い、涙が自然と溢れていた。
懐かしいよね…
ヨーロッパとアジア文化の交差点、宗教の融合、出会いと別れを象徴する街イスタンブール
レガートを自在に操り、魂を込めた宮本浩次の歌声が、夢と現実が混ざり合うイスタンブールの街並と時間に、よりなめらかな曲線を描きながらシンクロしていく・・
喝采
この曲を聴くといつも彼女達の事を思い出してしまう。
一人は僕の中学からの友人。もう一人は友人の職場の先輩で名前は・・・
ひとみ… だか、 ひかり……
まぁ、名前はどうでもいい。
二人ともゲイだったが、現在テレビで活躍中の「マツコデラックス」や「肉乃小路ニクヨ」とかふざけた名前ではなく、本名を少し変えただけの、女性らしい名前を名乗っていた。
僕の友人は「さとし」だったから「サトミ」と、呆れるくらい単純な源氏名だったが彼女はとてもその名前を気に入っていた。
僕らは一度だけ、その先輩を含め3人でカラオケに行った事があり、その時サトミが歌っていた曲が「喝采」だった。
随分と古い曲だが、先輩のお気に入りの曲らしく、サトミは結局2回も歌わされていたが、やはり2回ともその先輩は涙を流していた。
綺麗にアイロンされた、白地にピンク色の装飾を施したハンカチで化粧を落とさぬよう器用に涙だけを拭っていた。
その先輩は、外見はどちらかと言えば小太りで決して綺麗とは言えなかったが、そのしなやかな仕草がとても印象的で今でもハッキリと彼女の事を覚えている。
彼女達はある意味で、女より女らしい一面を持っている。
気丈で底抜けに明るいが、とても傷つきやすい。そして傷つく事には慣れているものの、夜の街に落ち着くまでには、過去に様々な葛藤や迷いの中で人を傷つけてしまった事も多いのだろう。
「喝采」という歌の歌詞に込められた悲しみと喪失感、それでも前を向いて生きていくしかないという漠然とした情景が、彼女達の心とどこか重なり合うところがあるのかもしれない。
「ROMANCE」の収録曲で〝喝采〟の次に来る〝ジョニーへの伝言〟もやはり彼女達(ゲイや女装家)の心の琴線を震わせる曲として有名な名曲だ。
これは僕の個人的な感想だが「ROMANCE」の選曲はどちらかというと、そちら側に寄せてるように感じるのだが詳しい事はよく分からない。
ついでだから書いてしまうと、ゲイバーでよく歌われる曲の一つに「5番街のマリーへ」があるが、僕がこの曲を歌ってしまうと必ずといっていいほど「逆アフター」を申し込まれる。
手前味噌になってしまうが、僕はこの曲がうまい
しかし僕は両刀使いではないので、サオも玉子も決して彼女達に捧げた事は一度もない…
何だよ、信じるか信じないかって・・
もう… 随分と昔の話のように感じる。
あれは確か… 東日本大地震の2.3年前だっただろうか
一緒にカラオケに行ったあの先輩が自殺した事をサトミから聞いた。高崎の実家では彼女の引き取りを拒んだ為、サトミや同僚達で供養してやり、確か… 吉原にある寺の共同供養所に預けたと言っていた。
僕も一緒に線香をあげに行こうと言っていたが、結局あの話しを聞いて以来サトミとも会っていない。
ふと・・・
ふと、宮本浩次の「喝采」を、彼女達に捧げたいと思った。
また先輩は泣いちゃうんだろうね
今も彼女達が存在している事を思い出させてくれる曲… 「喝采」
あなた
毎朝5:30に起きて朝食の支度を始める彼女に、僕は最初「君は何かに追われているわけではないのだから、みんなと一緒に起きて、それからゆっくり支度をしたらどうだろうか?」と提案した事もあったのだが、今も彼女は早起きのスタイルを変えずにいる。
今の季節であればまずキッチンを暖め、熱いお湯をフレーバーティーに落とし、ロッキングチェアに腰を下ろし好きな音楽を聴き歌い、そうして彼女は誰にも干渉されない自分だけの時間を楽しんでいるそうだ。
ある時僕は随分と早くに起きてしまい、まだ夜が明けきらぬ暗い中、子供達の寝顔を確かめてから一階へと降りて行った。
電気もつけず感覚だけを頼りに廊下を突き進み、キッチンのそばまで来ると、わずかに漏れ聞こえる音楽はどこか悲しげな曲だった。
キッチンのドアには10枚の透かしガラスがはめ込まれていて、その一枚からそっと中を覗いてみると、彼女はリラックスをしている時のロッキングチェアではなく、ダイニングチェアーに腰掛け、肩ひじをテーブルにつき、うつむきがちな後ろ姿はひどく悲しげに見えた。
後ろ姿だけでは、何を考えどんな表情をしているのかも分からなかったが、僕は廊下の暗闇から暖色に染まる部屋の彼女の後ろ姿をしばらくの間見つめていた…
朝になり子供達とキッチンへ向かうと、普段通りの彼女がそこにいた。
一体誰の曲だったのだろうか…
おそらく音が小さかったのは、キッチンに備え付けのB&WのスピーカーでCDを聴いていたのではなく、YouTubeを視聴していたのだろうか…
キッチン用のタブレットを開け履歴を調べてみると、彼女が最近聴いてる曲があったので、当たりをつけて僕も聴いてみる事にした。
彼女は何を思い、この曲を聴いていたのだろうか・・・
もしくは何も考えていなかったという方が正解なのかもしれないが、僕はまたこの事についてしばらく考えていた…
何でも正解を出す事だけが答えではない。この世界のあらゆるものには、余韻とメタファーが隠されている。
例えばそれは、アルフレードがトトにした話しを覚えているだろうか?
身分の違う兵士が王妃に愛の告白をして、100日後に答えを聞かせて欲しいと、晴れの日も嵐の日も部屋の外で待ち続ける。
死の直前にあった99日目の夜、兵士は王妃の答えを聞くことなく、何故か部屋の前から立ち去ってしまう。
なぜ兵士はいなくなってしまったのか?
問題は「なぜ?」ではなく、余韻というものが人生というものに深みや物語を与えてくれるのだ。
人生は物足りないぐらいがちょうどいい・・
ドラネコには分かるまい・・
最近、僕は書斎での作業中、大好きなオードヴィーを舐めながら「宮本浩次-ROMANCE-」を聴いている。
あれ程好きではなかった彼の歌い方も今の自分には共鳴していて、おそらくそれは10年前でも5年後でもそれはダメで、彼女達がくれた余韻が今のタイミングだったのだろう。
CDまで買ってしまった。
曲を全て聴いてみて、今ならなぜ彼女が「NHK児童合唱団」にこだわっていたのか分かった気がした…
ドラネコが… あれほど…
大好きな酒と音楽が、今夜も僕を心地良くしてくれる・・
宮本さんの歌を使ってくれてありがとう(*≧∀≦*)
感度した(╹◡╹)♡
👍