2021年1月27日
シボレー,マリブ

 

前回、僕はイヴォークの冷却水について、くだらな記事を書いていた。

 

「クーラント」や「ラジエター」という何気ない車の専門用語をタイピングしていると、もう随分と昔に過ぎ去った日々・・

 

そう…   彼女と過ごした日々を思い返していた。

 

人間の記憶というものは本当に不思議なもので、大事な事はすっかり忘れているのに、変な事ばかりを覚えていて、時折そういった思い出や記憶の断片がふいに甦ってくる事がある。

その時は何でもないと思っていた「ある場面での曲」「匂い」「何気ない言葉」「情景」が過去に通じる記憶の鍵となり時間旅行が訪れる。

 

彼女は元気にしてくれているだろうか・・

 

ゴマ
暇な人以外は進入禁止だよ

 

ですね

 

 

 

あれはまだ僕が二十歳を迎える前の話だ。

アメリカに住んでいた僕は「Alex」という名のメキシカンとルームシェアしていた時期がある。

僕は学生であり、彼は仕事をもっていたので基本的には顔を合わす事は少なかったが、それでも同じリビングを共有する仲だったから会えば話しぐらいはしていた。

彼は、Irvineにある「PEP BOY」という車の整備工場で働く労働者だった。

2つ年上だった彼からは、スペイン語の他には悪い事ばかり教えてもらっていたが、「不法移民の子供」という彼の生い立ち、その生き方を見ていると、社会権を持たない彼らが日常的に受けている差別、どこまでいっても裕福になれない「資本主義」の根源的なシステムなど、初めて社会の矛盾を直視するきっかけだったと言える。

机上の勉強だけでは学べない何かしらの彼へのシンパシーは、その後の僕の生き方に大きく影響を与えた事は間違いないだろう。

そして、これはどちらから言い出したかは覚えていないが、Alexと僕は一緒に簡単な商売をするようになった。

当時から、あらゆる個人売買が盛んだったカリフォルニアで、車の転売を始めたのだ。Alexがタダ同然でボロ車を仕入れ、修理した車を僕が売る。

僕は学生という立場を利用し、簡単に売り手を探す事ができた。

僕も含め、お金のない学生達は基本的にバス通いで、みんな移動には苦労をしていた。車社会のアメリカでは、日本程に交通インフラが整っている訳ではなく、バスだけを移動手段にしていると驚くほど行動範囲が狭くなり、乗り継ぎや帰りの時間を常に気にしなければいけないストレスにさらされている。

真摯に学業に打ち込む学生であれば何の問題もないのだが、「金はないけど遊びたい 遊びたいけど金がない」  そんな僕のような、楽しい事に流されやすい人間はどこにでも必ず一定数存在する。

そんな彼らに目をつけ、500ドル〜1000ドル(円高の為5万〜9万くらいかな)の車を紹介してあげると喜んで話にのってきた。もちろん値段相応で見た目はボロボロの車だが、格差社会のアメリカでは日本では誰もが振り返りそうなボロボロの車でも、そこら中に走っていて気にする人すらいなかった。まぁ、それは現在のアメリカでも同じようなものだ。

アメリカでは日本と比べて車の維持費が信じられない程に安く、名義変更なども気軽にできるという事もあって、日本人の学生が思い出に短期間所有してまた「転売」という事も多かった。

学生だけに限らず一般のアメリカ人にも売っていたのだが、満足度100%と言える程みんなに喜んでもらえた。

Alexが錆や機械油にまみれ何時間もかけて修理・調整した車を、僕はただ右から左に流すだけだったから、その事について「僕がいなくても、君ひとりでもできるんじゃないのかな?」と尋ねた事があった。

それについて彼は「自分はただ、車を直すのが好きなんだ。それに君は笑顔が得意だから、君から買った客は決してクレームを出してこない」 そんな印象的な言葉を言われた覚えがあるが、僕は後に彼から「愛の告白」をされる事になり、その言葉がどこまで本当だったのかは分からない。

ちなみに、僕等の取り分は一件につき1人300ドル程だったが、売った後のアフターケア・ドライバーズライセンスの取得指南などなど無償で行っていた事も多かったので、楽しかったがあまり割りのいい仕事ではなかったと記憶している。

ちなみにこの頃僕は週に2日、酒を提供するクラブでも働いていたのだが、「I-20」で入国していた為、イミグレに摘発されていたら強制送還になっていたかもしれない。時効だからと開き直るわけではないが、僕の周りではよほどの金持ちではない限り人種を問わずパートタイムジョブをしている友人は沢山いた。

車の転売は、あまり実入りのいい商売ではなかったと書いたが、唯一良かったのは色々な旧車に乗ることができた事だろう。

当時、僕がわずかな期間でも乗っていたのは、カマロにマスタング、特に思い出深かったのは1971年式の真っ赤なレストア済みエルカミーノ。
下品な言い方をしてしまうと「エロい体」をしていて、その艶のあるセクシーボディーを目当てに、街で何度も知らない男に売ってくれと頼まれた程だ。

 

そしてもう一台本当に思い出深かった愛車はシェビーマリブ。彼女がこの章の主役だ。

 

 

シボレー,マリブ

彼女は当時の僕と同い年に製造された18歳という事もあって、最初からどこか親近感を感じていて、一目で「転売」ではなく自分の愛車にすると決めてしまった。

女も車も、「ただ若けりゃいい、新しけりゃいい」という男は多いが、僕が大切にするのはある種の「繋がり・第一印象のフィーリング」というのは今も変わらない。

彼女は、お世辞にもキレイでカッコいい車とは言えなかったが、アメリカに滞在中は一番長い期間乗っていたし、一番大切にしていたのは間違いない。

元々はワンオーナーで大切に乗られていたらしいのだが、パラグアイ人夫婦に渡り「奥さんがいたる場所で車をぶつけてしまったからボコボコなんだ」 っと旦那は言っていたが、本当の所は分からない。

ただ、その後の不思議な出来事を繰り返すうちに、あの旦那が言っていた事はあながち嘘ではなかったのではないかと思うようになっていた。

なぜ愛車シェビーマリブに「彼女」と言うのかはここに繋がるのだが、とにかく女嫌いが尋常ではなかったのだ。
早い話が、女友達を隣に乗せると必ず問題が起きるのだ。

僕一人の運転、男友達を乗せてる時には一切トラブルに遭った事はないのに、女友達を乗せると100%トラブルが起きる。

そのトラブルを挙げればキリがないが新しいオーディオシステム・スピーカーを載せ換え、一人の時には常に102.7Kiss-FMか、好みの音楽を聞いているのに、ひとたび女友達を乗せると無音か、途切れ途切れの音しか流してくれない。
夕暮れ時、時にはいい雰囲気になりここでムーディーな曲が欲しいと思うシーンでは絶対に「彼女」は許してくれなかった。

他にはバッテリー異常・バックファイヤー・セル異常・助手席だけ窓が開かなくなる。女友達を乗せる度にトラブルが起きた。

 

その度に僕は・・

 

僕(若)
ごめん、ちょっと今日調子悪いみたいだ

 

女友達
いいよ、いいよ。逆に新鮮だよ♪

 

なんて大人の夜の営みで、「今日に限ってかよー 普段はあんなに元気なのに💧」 「いいよいいよ、そんな日もあるよ」的な慰められ方をされなければならなかった。

合理的に考えば、18年前の車であれば壊れてくるのは当然なのだが、そのタイミングが絶妙と言えば絶妙なのだ。

その事についてAlexに相談もしたのだが、「じゃあ女を乗せなければいい」っと、冗談混じりで笑っていたが、今思えばあれは本心だったのだろう。

最初は、前オーナーのパラグアイ女の呪いかと思っていたのだが、次第に僕は本気でこう思うようになっていった。

 

僕(若)
嫉妬深い「女」だな…

 

 

可愛いヤツだ・・・

 

 

人間とは常に自分の都合のいいように考える生き物なのだ・・・  

 

一人で走る時には、140キロを出していても全く不安がない走りと安心感があり、V8エンジンを積んでいるマスタングにも負けない様なトルク感は、まるで全身を包み込み、愛を囁く恋人のような感覚を覚える程だった。

嫉妬深いが、基本的に女友達を乗せてなければトラブルに遭う事はなかったのだが、彼女には一つだけ弱点があった。

 

そう…  とても濡れやすかったのだ。

 

勘違いしないで欲しいのが、例え僕が「彼女」を人間のように大切に扱い、大事に思っていたからと言って、車と性行為をしていた訳ではない。

 

神に誓ってもいい・・

 

ゴマ
当たり前でしょ

 

そこまで変態ではない

 

 

つまりクーラント液が循環するホース系が劣化していて、わずかに数カ所にじみ漏れ出てしまっていたのだ。

これについてAlexは、部品代や総合的に考えて「直す程の事じゃない、水さえラジエターに流し込めば絶対にオーバーヒートはしない」と断言していた。

それ以来、常に僕は車に水道水を入れたペットボトル2本積んで運転をしていた。

少なくなると注ぎ、また少なくなると注ぐ…

それはまさにある種の愛のある性行為のようにさえ思えていた。

しばらく運転しない日が続いて、ドライブしようと彼女に近寄るともう下はびっしょり。

 

僕(若)
あ〜ぁ、こんなにしちゃって…

 

ゴマ
やめなさいよ!

 

 

そんな状態なのに僕は構う事なく、ペットボトル片手にメキシコ行ったりベガス行ったり、雪山行ったりしていたが、濡れやすい彼女はいつだって機嫌が良く、共に休日を謳歌していた。

 

しかし別れはいつだって突然にやってくる。
辛い事だが、人生とはそんなものだ。

 

あの時こうしていれば・・・

 

ベストな選択なんてものは結局、時間が経った後からでしか判断はできないのだ。

もし今の自分だったら、もう少し広い視野と選択肢でマシな別れ方ができたかもしれないが、あの時はあれが精一杯だったんだ。

僕の脳内プレイヤーは「5番街のマリー」がリフレインしている。

これから先も「クーラント交換」をする度に彼女の事を思い出すのだろうか?

僕は彼女と別れた後に、三度ほどロスには訪れているが、彼女を探すような事はしなかった。
実は少し時間を作って探そうと思った事もあったんだけど、君は嫉妬深いからね・・

今度は一人で訪れるつもりだから、追憶を兼ねて君を探してみようと思う。コロナが落ち着いたら10日程滞在して、昔の友人達にも顔を見せるつもりだ。

 

早く世界が元どおりになって欲しい。

 

そう言えばAlexも元気でいてくれてるだろうか・・

 

そうそう、今回昔の写真を漁っていたら、僕と君の車が写っている写真がでてきたよ。今、ふと気づいたらミジェットってイギリスのクラシックカーだったんだね。

 

 

ミジェット
MG MIDGET 1500

僕が今乗ってるイヴォークも、一応はイギリスの車で赤い車っていうんだから、やっぱりどこかで繋がっていたのかもね。

この写真は君が僕にポージングさせて撮った写真だから、いつか君がこのページを見つける事があったなら、きっと君なら気づくだろう。

 

 

君達は、僕の事を覚えているだろうか…

 

クーラント液と彼女の話

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