2019年2月1日
韓国人,出会い

最近何かと話題の「韓国様」
僕は基本的にネットニュースなどを見ないので、そこまで目に触れる事はないですが、それでもTVも含め最近よく目にするワードだと思います。
慰安婦に徴用工、レーザーに東海、日章旗と話題に事欠かないのでしょう。

なぜこんな話題を考えたかというと、先日友人の家族と遊んでる時に、そこの小学生になる子供達が会話の中でこんな話しをしていた。

「韓国人嫌い!、ウザい」

なるほど・・

それは僕の友人の影響だ。
友人は普段、それほど人の悪口や批判をする男ではないのだか、韓国にいたってはひどく辛口だ。
そういった感情的な言動はすぐに子供に伝播する。
パパ好きの子供達だから尚更だ。

子供達に韓国人に会った事があるのか聞いてみたところ、会った事はないと言う。

まぁこのご時世じゃ、仕方ないのかと思いつつ、僕が出会った韓国人について思い返してみたいと思う。

拳銃を向けてきたコリアン

 

僕らにピストルを向けていた。
今にも発砲しそうな剣幕でわめき立てている。
それが初めて僕が出会った韓国人だった。っというより韓国人を認識したと言った方がいいのかもしれない。

当時、僕はカリフォルニアのUCI(University  of  California,Irvie)に通っていて、ごくごく不真面目な学生だった。
日本の大学よりはるかに厳しいカリキュラムの中、授業をさぼっては自宅近くのハンティントンビーチでサーフィンをしているのが日常だった。
週末にはサンディエゴ、時にはメキシコの方までサーフィンをと、のんびりした大学生活を過ごしていた。
(当然、単位を取得できるはずもなく後に2年でドロップアウトする事になる)

今から思えばその頃は人生の中で1番お金がなく、夜は知り合いの紹介で現在もIrvinにある「BLISTOL」というクラブでウェイター兼カクテルを作ったりして、小銭を稼いでいた。

後にダンスをメインとしたクラブでも働く事になるが、「BLISTOL」は日本の女の子達が20人程、現地のアメリカン、メキシカン、スパニッシュの女の子達が計20人程在籍している、いわゆる日本式のクラブだ。

経営者は日本人。確か河本さん?っという背が低くオールバックで水商売にありがちな愛想がいいのか悪いのか分からない憎めない男だった。

客層は現地の日本人駐在員や・・

いや、こんな事は割愛しても構わない。

客の帰り具合によるが、closeは大体夜中の2時。
よく仕事終わりに、日本人スタッフ、外人の女の子達・・
この場合、うちらが外人なのだが・・。
と、そのまま店で飲んだり帰りにまだ開いてる店を探して食事をして帰る事もしばしばあった。

その日も9人ぐらいでご飯でも食べて帰ろうという話しになった。
確か・・
トーレンス辺りのコリアン料理を食べたいと一人の女の子が提案したんだと思う。

韓国との文化的交流が盛んになってきたのは多分「冬のソナタ」など、韓流ドラマの影響が大きかったと記憶してるので、そのブームが起こる少し前の、大学に入りたての僕としたら・・

コリアン? 朝鮮? 韓国? 北朝鮮? 中国?  どこの国?

多分、韓流、嫌韓が流行る前の日本人はこんな感覚の人も多かった様に感じる。

欧米諸国、オーストラリア、シンガポールなどは家族で旅行をしていたから多少の知識があったが、タイ、マレーシア、韓国、フィリピンなどはひとくくりに「発展途上国」として、国として区別する意識がなかったのかもしれない。

当然コリアン料理といっても全く思いつかなかった。
キムチの国???程度だ。

車で20分程走った所にあるコリアタウンの一角にその店はあった。

食事に行ったのは僕を含め、男3人に女が6人。

汚らしい大衆食堂だった。

カリフォルニアに山の様に存在する日本食レストランは、どちらかというと現地のショピングモールなどに溶け込み営業している印象だったが、コリアンレストランはどちらかと言うと同じ民族を集めたコリアタウンでのみ存在する様な、どこか異質な印象を昼間から感じていたが、夜中の印象はそれを更に悪くする。

薄暗い店内。

アメリカで営業しているのに、何故が英語は片言でコリアン特有のどことなく喧嘩腰な口調で話す店主夫婦。客は数組テーブルを囲み、コリアンがほとんどだった。

英語と日本語も飛び交う集団の来店に店の雰囲気が変わったのは、鈍感な僕でもすぐ気付いた。

記憶が曖昧だが、確か「パンケーキ」が美味しいとそれを注文していた。
確かそう呼んでいた。
今で言う(日本でいう)「チヂミ」の様な料理だった。
バドワイザーを飲み、チヂミをコチュジャンと酢につけながら食べ、なんでこんな美味しくないものを食べにトーレンスまで来たんだろうかと僕は思っていた。

その頃僕は、仕事後にはキットカットの大袋とステーキを家で食べるのが日課だったから、失敗したなぁっと後悔していた。

すぐに異変には気付いた。

少し離れた場所で酒を飲んでいた三人のコリアンの男達がこちらを睨みつけていた。
年齢は30代くらいだったと思う。

もちろん英語だが「日本人か?」と聞いてきた。
すると突然、ビール瓶を割ってこちらに詰め寄ってきた。
男達のうち一人が店の外に出て行った。

何か古い香港映画の一場面でありそうな光景だったと今にして思う。

僕らにビール瓶を突きつけた男はしきりと先の戦争の事を話していた。
「お前達の先祖がどれだけ酷い事をしてきたのか分かるのか?」

「お前達がすべてを奪っていった」と

延々と同じ様な事を怒鳴っていた。

店の外に出て行った男が戻ってきた。
手には拳銃を手にして、こちらに向かって構えている。息は荒い。

こちらが挑発した訳でもあるまいし・・

気にくわない日本人が女を沢山連れてるという嫉妬心からの暴発かは分からない。
ちなみに仕事の環境上、女の子に誘われた事は何度もあったが、当然店の女の子達に手を出すという事はない。

先程より店の主人がキンキンとした声で三人の男達を静止しているのが分かる。なだめるというより、こちらもまた男達に向かって怒鳴り散らしていた。

朝鮮語だと思うが止めてるという事だけは分かる。

「昔の事はよく分からない」(never mind)という同僚の発言に、ビール瓶を突きつけていた男は激昂。

更に怒鳴りつけてくる。「massacre(虐殺)」という言葉を何度も使っていたのを思い出した。
それはもちろん僕達を虐殺したいという意味ではなく、過去の日本人の行いの事を言っていた。

声にならない声で泣き始め、もう一人の男も泣いていた。

当時23歳で、店のマネージャーをしていたRyuさん。男気があってルックスも良くて誰からも慕われていた、今でも僕の尊敬する一人に数えているRyuさん。

泣き喚いている男を落ち着かせて、肩を抱いて席に座らせずっと何かを話しかけていた。

拳銃を構えていた男もRyuさんと話し始め落ち着いてきた様子だった。

一体何を見せられてるんだ??

っと思いつつ、ここでの教訓と経験は、Ryuさんのカッコ良さと、韓国人(朝鮮人)はヤバイという事だった。

当時、歴史、地理、人種などあまりにも色々な事に対して無知だった僕が、初めて韓国人というものを意識した出来事だった。

出会いとしては最悪だ。

その後、嫌でもコリアンに対して意識する様になったが、それ以降、留学中にコリアンから嫌な思いを受けた事は一度もなかった。

ちなみにカリフォルニア州では異常にコリアンアメリカン(2世、3世)が多かった。感覚的には日本人の10倍くらいはいるんじゃないかと思うほどうじゃうじゃいた。

日本人はどちらかというと「Little Tokyo」の衰退から分かる様に、日本人同士で固まって助け合って暮らしてるというのは昔の事、現地に溶け込み各々が自立している様に思えた。

コリアン特有の民族主義の強さなのか、今だに決まった居住区を拡大させながらコリアンタウンを形成していってる様に思う。

そして教育熱心なのも彼らの特徴だ。1世が大衆食堂、洗濯屋を営んでいても2世が弁護士や医師というのがゴロゴロいる。(アメリカの弁護士や医師は日本ほどなるのが大変ではないが)

コリアン2世(3世)の印象としては、特別日本人だからと嫌悪感を向けられる事もなかった。
表面的には普通の会話を楽しんでいた事も何度もあるので、拳銃を向けられた連中が特殊なんだと思う事にした。(酒も入っていたし)

在日韓国人(朝鮮人)を考える

 

「在日」という言葉は本来、「在日外国人」または「在留外国人」の略になる。

外国籍を持つ者が日本に存在、住んでいる事を指すので、ブラジル、フィリピン、アメリカ、フランスの人も日本にいれば「在日」になる。
もちろん侮辱的な意味は本来的にはない。

しかし、面白い事にいつの頃からか、「在日」という言葉が侮辱的な意味合いに変わってきている。
しかも「在日」=「在日韓国人(朝鮮人)」という意味合いが強くなってる様に感じる。

多少、中国人も含まれているんだろうが、中国籍の日本住みだと僕には「華僑」という印象が強い。

そして個人的な「華僑」の印象は、とにかく頭が良くてお金持ち、アジアにおける影響力、ネットワークの絶大さは当然の事、今や世界中でその影響力を持ち今後も更にその力は大きくなっていく事だろう。

そう言えば「村上ファンド」の村上世彰さんも華僑だったみたいですね。

 

いつか華僑の事についても書きたいですが・・・

そうそう今は「在日韓国人」について話してたんだ。

どうしてもネガティブな意味合いになってしまう「在日」(在日韓国人、朝鮮人)という言葉は正直、大人になるまで意識した事がなかった。

僕が育った環境がたまたまそういった人達がいなかったのが大きいのかもしれない。

どちらかと言うと、関東より関西方面の方が、今だにそういった「在日的差別」や「部落差別」が多いように感じるのは気のせいではないと思う。

日本の高度経済成長と共に関西方面で主に活動していた裏社会のフィクサー、許永中(在日韓国人)らの存在が、より関西方面に未だに残る差別意識の希釈を遅らせてるのかもしれない。

一般の日本人からしたら「在日、部落的な差別を逆手に特権を貪り尽くすとんでもない奴だ!  だから在日は!」となるのは致し方ない。

許永中を知るのも、日本の近代史の裏側を垣間見れるのでお薦め☝

 

在日韓国人とユダヤ人の共通点

 

あくまで個人的感想だが、ユダヤ人と在日(韓国、朝鮮人)と呼ばれる人々には部分的に共通点が多いように感じる。

まず、国境という概念が気薄であり、他国に移住してもその強いアイデンティティにより、周りと馴染む事を好まない。

よって迫害や差別を受けやすい。

人のやりたがらない仕事をこなすうちに、特定の業界で絶大な権力を手にしていく。

ユダヤ人の場合は、宗教上の理由からそれがたまたま金融業だったという事だ。

資本主義の性質上、一旦、王様の上を押さえたユダヤ人(お金「capital」)を下に引きずり下ろすのには、もはや戦争(革命)以外には不可能なのでしょう。

資本主義

別にこれは陰謀論云々ではなく、結果としてそういう構造になっていく。

日本でいうならば、戦中、戦後に随分と朝鮮半島から人が流れてきた。(華人も)

民間レベルでは現在よりも露骨な差別が存在していたのは間違いない。

当然、日本の主流社会に進出するのは容易ではなかったのだろう。
必然的にパチンコやクラブ、芸能などの日陰産業に従事する事となる。

ヤ◯ザに在日朝鮮人(韓国人)が多いのもその典型の一つだ。

一般人が手を出さないグレーな産業ほど利ざやが大きく旨味があるのは世界中、今も昔も変わらない。

資本主義の流れに乗って、大きな富が更に莫大な富を引き寄せる。

その莫大な富が権力と結びつき利権が発生する。
これもまた今も昔も変わらない。

必然的に、その利権を利用する在日の人々を日本人は敵視する。

当然、真っ当な商売で成功した在日の人々も大勢いる。

ベースとなるハングリーさが一般の日本人より強い為、成功者が多くなるのもまた必然。

ソフトバンクの孫さんが最たる例だが、あれだけ個人で日本の為に(震災時も)寄付、貢献をしても「在日」と叩く人が少数は必ずいる。
差別や偏見、いじめ、マクロ的に言えば戦争が決してなくならないといういい証拠なのだろう。

人が2人集まれば争いが起こる
人が3人集まれば派閥、差別が起こる

人種差別も同じ事だ

もはや人類が背負っている「業」ともいえる。

一時期遊んでいた友人達(在日韓国人)もまた信じられない程の金持ちだった。

在日韓国人の友人

 

彼らの外見はどう見ても日本人だった。

最初に彼らに会ったのは・・

 

・・・

・・・・

あっ!  すごい眠くなってきたから今日は寝よう。

こんな事を1時間も書いていた💦

途中ですがまた時間があったら続きでも書こう(_ _).。o○

ゴマ! 寝ますよ〜!

 

ゴマ
は〜〜い、待って~(=^・・^)♪

では、おやすみなさい😴

 

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