2020年9月28日
海,ゴマ

 

昨日、女優の竹内結子さんが亡くなった。
7月には三浦春馬さん、芦名星さんなど、ドラマで親しんだ人達が自らの命を断ったという事に衝撃を受け、本当に悲しい。

こちらから見れば華やかな世界に身を置き、勝手に幸せそうと思っているが、当たり前だがどんな人間にも大なり小なり悩みがある。

勝手な邪推はしたくないが、コロナ禍の影響は少なからずあるのだろう。職業柄、緊急事態宣言の影響をまともに受け、真面目であればある程素直に自粛をして、どうしても家族や自分と向き合う時間ができてしまう。

それなりに忙しくしていた日常では考えもしなかった余計な事まで考えてしまう。

時間ができてネットを見れば極端な思想や誹謗中傷に溢れ、見れば見るほど分からなくなり、結局は自らの信じたい方の思想に偏ってしまう。

毎日、すぐ身近で起こる凶悪事件や犯罪。

世界を見渡せば、毎日のように行われている悲惨な戦争やテロや差別に溢れ、この最低最悪な世界で正気を保って生きている方が難しい。

真面目であればある程この世界に絶望を感じ、心の弱い人はスピリチュアルや占い、宗教に走ってしまうのも分からなくはない。

この理不尽な世界では「見てみないフリをする」という事が生き残る一つのスキルとなっている。そうする事を繰り返し、慣れてくると人は「自分だけさえ良ければ」という考えになってくる。

そういった悪循環が更に人を孤独にする。

人類は、大昔であれば余計な情報も少なく、生きる事が精一杯で余計な事も考えずに済んだのかもしれないが、現在は便利になった分、余計な悩みを多く抱える事になったのかもしれない。

コロナの影響もあり今年は世界的にも日本でも圧倒的に自殺数が増加するらしいが、誰かこの問題を解決できるのだろうか?

やはりコロナ禍の今こそ人類は「利他主義」の原点に立ち返るべきなのではないだろうか?

 

どっちみち人間は自分の為に生きても(自分さえ良ければ)、最初は徐々に満たされて幸福度が上がっても全てが満たされてくると輝きを失い、また新たな感情が生まれてくる生き物なのだ。

それが喪失感や虚無感、欠落感などの負の感情にバランスが崩れると、人はいとも簡単に無意識な世界を選択してしまう事がある。

自分の為だけに生きていると達成感の先にあるものは「もっと、もっと」という欠乏感だけだが、他者の為に何かをする事で人は「幸福感」という感情を得ることができる。

見返りは求めてはいけないが、感謝をされて怒る人間は誰もいない。

一番簡単なところで言えば、どんなに不完全な親でも子供達の為に無償の愛を与えていれば、それだけで子供達は「幸福感」を与えてくれる。

「利他主義」と言うと難しく聞こえるが、要は一人一人が身近な人を大切にする、家族や友人の為に生きれば、それだけで世界はきっと変わるはずだ。

ネット社会は明らか人類を便利にはしたが、それとは引き換えに何か大きなものを失ってしまったのだろう。

人生はどこでバランスを取り、どこで妥協すればいいのかは本当に難しい。

もし何か思い悩んだりした時、どうか自分の為ではなく他者の為に生きたらいいと思う。

自分の事を必要としてくれる人があればその人の為に、誰も必要としてくれる人がいなければ誰か知らない人の役に立つ事で新たな自分が発見できるかもしれない。

僕にも経験があるが、知り合いに自死されるのは本当に悲しい。

どうかそんな時は、自分の為ではなく他者の為に生きて欲しい。

 

 

 

あっ、こんな時間だ!

 

この最低最悪な世界と、愛に溢れた世界の狭間で・・

投稿ナビゲーション


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。