2020年、日本にとっては久しぶりの晴れ舞台の年「東京オリンピック」を迎えるのだが、年明け早々から暗雲が立ち込める。
コロナウィルスは様々な陰謀論を巻き込み、アジアだけにとどまらず世界中に蔓延しつつあるが、僕の日常生活は何も変わらず続いていく。
家族と映画を見に行き、コストコにも行く。普段と変わらずスーパーに買い物に行くと、何故かティッシュやトイレットペーパー・お米が品切れになっていた。不安で不安で仕方のない人達が殺到したのだろう。
僕は自分が咳をしていない限り外でマスクをつける事はないが、最近はジップロックにマスクを1枚入れ、ポケットに忍ばせるようにしている。不安で不安で仕方のない人々に因縁をつけられてはたまらない。
全体主義は嫌いだが「空気」ぐらいは読めると思っている。
何か変わった事はないだろうかと考えてみても・・、まぁ割安の株を物色してるくらいだろうか・・・
そんないつもとは少し違う春先に、コロナウィルスを巡る人達の事を考えていた。
転売屋という人々
彼等は商品が品薄になるのを見越して買い占めを行う。もし状況が思惑に反して好転してしまえば、彼等は大量の在庫を抱える事になる。
必ずしも高値でさばける保証もなく、ネット転売の場合、正義感たっぷりのイタズラ入札も多いので、労力の割には大した稼ぎにはならないだろう。
たかだか数十万、100万程度で道徳心やら倫理観でお叱りを受けるぐらいなら普通の仕事をこなしている方がマシだと思うが、拝金主義の彼等の頭にあるのは常に「自分さえ良ければ」「自分さえ儲ければ」しかなく、困っている人の事を考えるという「想像力」が乏しい。
いや、乏しいと言うか彼等はどんな事も自分の都合のいいように解釈して生きているので、上からの法規制がない限り考えを変える事は決してない。
犯罪を犯してまで小銭を稼ごうとは思わないだろうが、資本主義のルールが許す限り、「自分さえ良ければ」と、不安や危機・品薄をチャンスと捉え金儲けに走る人々だ。
※追記 どうやら政府の規制が入っていたんですね(転売屋さん抱えた在庫どうするの?)
投資家の思考
投資家にも様々なタイプがいるので一括りにはできないが、考える事は転売屋と同じようなものだ。
「買い」からしか入れない投資家は、こういった危機が起こるたびにガタガタと震えている事しかできない。ただ頭を抱えていれば危機が過ぎ去ってくれると信じているのだろう。
しかし「売り」も使いこなせる投資家は、こういった危機をチャンスに変える事ができる。危機が長引いて株価が下がれば下がるほど儲ける事ができるのだ。
そして下世話な事に、今回のコロナウィルスも投資家にしてみれば、儲けの種の一つでしかない。っと言うよりご祝儀相場と言うべきか・・
インフルエンザや感染症の流行は数年おきに必ずやって来る。(SARSやMARSなどなど)その度にマスク関連銘柄は急騰する。
しばらくすれば潮が引いたように安値になり、みんなが忘れた頃にまた仕込んでおく。そしてまた数年毎に起きる感染症の大流行で、価格が10倍以上と跳ね上がり高値で売り抜ける。
長いトレンドの中のルーティン作業だ。宝くじよりはるかに割がいい。
安値で買い揃え高値で売り抜けるという行為は、マスク転売ヤーと同じ事をしているのに、こちらはほとんど叩かれる事がない為、良心の呵責に襲われる事は少ないが「世間の危機をチャンス」と捉えるあたりはどうしても不謹慎と言わざるを得ない。
不謹慎と言えば、僕は東日本大震災の福島第一原発が水素爆発をしたその日、ナイアガラ売り状態となった日本株を2000万程現物買いをした。
もしあの時、放射能爆発を起こしていたら関東地方は今でも人の住めない土地になっていただろうし、保有株は軒並み紙屑になっていた可能性もあるが、その後の金融緩和の影響もあり日本株はほぼ3〜4倍の値上がりをした。
「危機をチャンスに」と言えば聞こえはいいが、今から思えばそれでもやはり不謹慎だったのだろうと反省をする事がある。
結局は転売ヤーと同じで「自分さえ良ければ」という思考に陥りがちになるのが投資家である。その後、被災地に数百万の義援金を自己満足の為に送るも、今だにふっとした時に自己嫌悪に陥りため息をつく事がある。
じゃあこういった危機の時に自分は一体何ができるのかと考えてもやはり答えを出せずにいる。
自分さえ良ければ・・・
買い占める人達
彼等は悪気がないだけにタチが悪い。一次的な情報だけを鵜呑みにする大衆は、やってる事は転売屋と似たようなものなのに、彼等にその自覚はない。
結局は「自分さえ良ければ」だ。
なぜコロナウィルス→休校でティッシュ・トイレットペーパー・米を買い占めるのか意味が分からないが、おそらく自らの頭で状況を分析して将来の動きを予測する事のできない人々なのだろう。不安で不安でたまらなく、誰かが何かを言ってくれるのを常に待っている。右から左に、上から下へと根無し草のようにフワフワと漂う存在だ。
全体主義にはこういった人々が大きな役割を果たす。
しかし、こういった皮肉を言ってるからといって自分がそんなに正しい行動をしているかと言えばそんな事はない。普段から物質的な備蓄はあるものの、信念として持っているものは根拠のない自信だけ・・・
多分それは極限的な飢えや危機を体験した事がないからこんな悠長な事が言えるのかもしれない。
時代は変われど人間の本質は変わらない
人はある程度の豊かさと心の安定さえあれば、理性や建前で生きていけるのだが、いざ自らの身に本当の危機が降りかかると普段は息を潜めている「差別意識」や「自分さえ良ければ」という本性が表面化する。
たまたま戦争のない、物質的に豊かな時代・先進国に生まれたから綺麗事が言えるだけで、人は本質的に「自分さえ良ければ」と思っている。
過去から未来永劫どこまでいってもそれは変わらないのだろう・・
ふと、何故か人間というものが可愛いくもあり、愛おしくも思えてくる。
成長できない人類・・
原始時代を人類の「乳児期」だと例えると、人類はその時より科学技術を発展させ現在では火星にまで行ける様になったのに、精神面や感情のコントロール・本質的な「心」の内面は一切成長する事ができないままでいる。
そんな事を考えていたら「転売屋」や「投資家」や「買い占め屋」なんてどうでもいい事だし、実は大してそう変わらないのかもしれない。
結局、人類は数百万年をかけて社会を複雑にしただけで、日々の営みや心のありようは、遥か昔より変わらないし変われないものなのだ。
シンプルに「あるがまま」に人生を楽しめばいいのだ。
そう、あるがままにペヤングを・・・
そう、ペヤングシリーズまだまだ続きます・・ おやすみなさい
あっ、そう言えば来月のハワイ休暇も中止にしたし、ドバイに用事があったのもキャンセル。
私、地味に影響受けてるようです。