この3部作はエロいです。エロくて変態的です。女の人が読めば嫌悪感を感じる方も多いと思います。僕は官能小説?エロ小説?など読んだ事がなかったので、どんな作品かも知らずに読み始めたので、所々ムラムラしてました😋
三部作に共通してるのは、まず村上龍の圧倒的な文章力とインテリ?知識の波にのまれそうでした。
どんな事柄もネット検索で瞬時に分かる現在でもこんなに一つの事柄に続く派生した知識を文章にまとめるのは難しいじゃないでしょうか。
三部作はヤザキ、ケイコ、れい子、それぞれの独白で、酒、ドラッグ、SM、仕事を通じてどこまでSEXの快楽を追求できるのか?
どこまで変態的なプレイで相手を支配し、実は支配されていたのか?その宴の後、三人には何が残されたのか?
全作品を通してはこんなところです。
僕はたまたまエクスタシーから読み始めたんですが、時系列的には
1.エクスタシー
↓
2.メランコリア
↓
3.タナトス
こんな順番です。
エクスタシー (1995)
【中古】 エクスタシー 集英社文庫/村上龍(著者) 【中古】afb
媚薬エクスタシーを巡り、ニューヨークの謎のホームレス・ヤザキと彼を取り巻く女たちが、互いの快楽と自意識を探り続ける。
「ゴッホがなぜ自分の耳を切ったか、わかるかい?」
この言葉からストーリーが始まります。
ニューヨークで突然ミヤシタは、ホームレスに日本語で話しかけられる。そしてそのホームレスは言う、「俺のことを今から言う番号に書ければお金が手に入る」。それは悪魔のささやきだった。
言われたとおりに電話をかけると女が出る。そして話の果てに、エクスタシーという麻薬を手に入れ、とある女とセックスをする。それはまさに悪魔のささやき。ありえない快感に見舞われる。
そして電話の声の主、カタオカケイコに会うと、一気に自分の奥底のマゾヒズムが沸き起こり、ケイコの独白が始まる。
このケイコの独白がとにかくエロいです。
僕は個人的に、表層的にはSを自認していますが、こんな女(ケイコ)なら、支配されてみたいと思った男は、僕だけじゃないと思います😳
ちなみにこの作品で言う「S」や「M」は、例えば、若い女の子達のよく言う「自称M」とは訳が違います。
それは単純に「M=受け身」という意味あいで、どちらかと言うと「M=おまかせ」の様に使ってますが、この「エクスタシー」は違います😨 ガチです😱
究極の快楽の先にはSMが待っている人格の崩壊に全てのエロスがある一枚ずつ”恥”を剥がされ執拗に責められると狂ってしまう恐怖に襲われるけれど、冷静に自分を支配し続けてくれる相手がいるなら崩壊するのも悪くない。〈いつか必ず自分の欲望をきちんと現実で具体化してくれる男が現れるはずだ〉〈最も恥ずかしさを感じるひとに、最も恥ずかしいことをして貰いたい〉これらはきっと、死ぬまで高いテンションを保ち続ける。最後に破け崩れ出したのは”僕”の中で重なり合っていた”恥”。崩壊して初めて向こう側へ行ける。
確かに・・・
理性で抑えてるうちは、究極のエクスタシーには到底たどり着かないですね。理性、人格もかなぐり捨てた先に究極の快楽がある。
しかし、この作品の人格の崩壊の描写には必ずドラッグの存在がある。
文章自体をわざと読みづらくさせ、句読点、特に読点がほとんどない。
でも読みづらいが、読んでいる側に休みを与えず、次から次へと単語を流し込んで、だんだんと理解が出来なくなってくる。でもどぎつい単語は頭に入ってきてイメージだけをさせる。この感覚が麻薬をやっていて半ば狂ったような状態になっている主人公と同じ状況にさせるのだ。
さすが村上龍である。しかし個人的には作者自体が、体験談を取材しただけでは書きえない、実際にその環境のかなり近いところにいたのではないかと邪推をしてしまう。
ミヤシタの最期も、なかなかインパクトがあっていい。
僕の好きな作品の一つです。
メランコリア (2000)
【中古】 メランコリア 集英社文庫/村上龍(著者) 【中古】afb
(メランコリアの意味): 黒い胆汁や粘着液などの意味があるが、この場合晴れない気持ち、憂鬱。
精神科医の世界では、メランコリーの言葉などは紀元前から使われていた言葉の様です。
伝説の男が帰ってきた。ニューヨークのダウンタウンでホームレスに身をやつしていた謎の男、ヤザキ。
快楽と鼎廃にまみれたその半生を取材し始めた女性ジャーナリスト、ミチコはやがてヤザキの独白に魅せられ性愛の幻想に呑み込まれる。
二人が目指すアステカの遺跡。
最終章、ミチコの悪夢通りの展開になるのか、二人が何処にたどり着くのかは中途半端に物語は終わる。
この終わらせ方もまた村上龍の上手いトコで読み手側の想像力をかきたせる。
ヤザキに運命を握られたミチコの最期になるのか否か。
この作品は、ヤザキの独白になるがとにかく読みづらい。話が2点、3点するし、ケイコとレイコの話に振り回されて付いていくのがやっとでした。
「エクスタシー」はケイコのエロさに引き込まれていけたけど、ヤザキの意味のないトコに話が飛びまくるのは、圧倒的な情報量を示したかったとは思うが、正直辛かった。
「エクスタシー」を読んでるからこそおもしろかったけど、初めてこの作品を読んだ人にはかなり「???」な感じではないでしょうか。
好きなのにある人と別れるということは結局は自分に力がないことの証拠なのだ。
人間に自信を与えるのは家柄や人種の優劣ではなく教養であり、教養の重要なものに語学力というものが含まれる。
大抵の場合トラウマは本人の人格より強く大きい、制御できないからそれはトラウマと呼ばれる
タナトス (2004)
(タナトスの意味):”死そのもの”を表す神の名である。
キューバに降りたった 桜井れい子 の独白。
その独白の聞きてになる現地に住む日本人、カメラマンのカザマ。
やがてれい子の独白に魅せられバーテンから教えてもらったシャーマン、カルドーソに会いに行く。
まるで他人を演じてるような多重人格の様な、精神が壊れていくれい子の姿がラストシーン。
一瞬自分を取り戻した時間以外は自分がどこにいるのか、誰といるのかすら理解できない様はタナトスの体現ですね。
結局3部作で三人の独白が終え、1番悲惨なラストを迎えるのは精神が病んだれい子という事だろう。
この独白の中でれい子の幼い頃のトラウマが明かされる。
また「メランコリア」でヤザキが、れい子への嫉妬心であれほど「 内側から火で焼かれるようだ」と言わせたれい子の弱さと絶望が全面に出ている作品。これまた「メランコリア」に続き読みにくかったですが、れい子のエロさに免じてオケとします😘
甘え方を知らない人間はようするにひどい幼年期を送った奴なんだ。
甘えっていうのは外部との親和性なんだから、それがない奴はうんと遠回りして苦労して全く違う親和性を探さなくてはならないんだ。
何か他のものと比べないと、日本の特徴は分からない。他の国と比べないと日本の特殊性は分からない。
日本国内にいるだけでは、日本の特徴、特殊性はなかなか分からないと思います。
僕自身、何十カ国と外国へ行き、その国の言葉、文化、人に触れてこそ分かる日本があります。
それは「日本優越論」などではなく、島国特有の閉鎖的な文化であったり、それがプラスに働いていたりマイナスに作用したり、まぁこの辺りも別の機会に改めて考察してみたいものです。
村上龍 プロフィール
長崎県佐世保市生まれ。武蔵野美術大学中退。
大学在学中の昭和51年、基地の町の若者風俗を描いた「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、第75回芥川賞を受賞する。
著書に「コインロッカー・ベイビーズ」「トパーズ」「五分後の世界」「KYOKO」「ラブ&ポップ トパーズ2」「イン ザ・ミソスープ」などがある。また、「トパーズ」「KYOKO」などで自ら映画監督を務める。
受賞歴
芥川賞(第75回 昭和51年)【限りなく透明に近いブルー】 |
群像新人文学賞(第19回 昭和51年)【限りなく透明に近いブルー】 |
野間文芸新人賞(第3回 昭和56年)【コインロッカー・ベイビーズ】 |
読売文学賞(第49回 平成10年)【イン ザ・ミソスープ】 |
谷崎潤一郎賞(第36回 平成12年)【共生虫】 |
タオルミナ映画祭 銀のうずしお賞(平成4年、イタリア)映画【トパーズ】 |
毎日出版文化賞(第59回平成17年)【半島を出よ】 |
野間文芸賞(第58回平成17年)【半島を出よ】 |