時間とは宇宙に組み込まれた現実の存在なのか・・
あるいは人類が社会を機能させる為に考えだした単なる概念なのか・・
その答えを知る為に投げかける問いは一見シンプルです。
「時間とは一体何なのか?」
映画「君の名は」の三葉(みつは)のお婆ちゃんは、時間についてこんな事を言ってました。
確かに考えれば考えるほど分からなくなってきちゃいます・・・
今回はそんな、人生において全く役に立たないけど、でも考えちゃうシリーズ第7弾をお届けしたいと思います(´・ω・`)
「時間」という概念の発明
僕達は日々、「時間」という数字によって朝起きたり、人と会い、夜ベッドに入り眠りに落ちます。
次の日も、また次の日も・・
そうするうちに時間に追われ、日々に追われ、いつしか歳をとってるという具合です。
今回は、そういった哲学的な事は置いときまして、まず人類が「時間」というものに対してどう向き合ってきたのか?
どう認識が変化していったのか歴史と共に振り返ってみます。
天体の周期的運動の発見
まず最初に古代原始時代、人類にまだ「時間」という概念がなかった時代、どの様にして「時」を感じていたんでしょうか?
さて、あなただったらどうやって「時間」を認識するでしょうか?
そう・・、太陽です。
はるか昔、人類は太陽の位置で、現在の「今」を認識していました。
東から昇り、西に沈んでいく太陽。
暗闇を経て、また東の地平線から太陽が昇る。
このサイクルを1日と認識しました。
そして、繰り返す「季節」「天体」を詳しく記録していく事によって1年というサイクルを発見します。
感覚的にしか分からなかった「時」を、太陽の光が作り出す影が、時間の目安になると気付いた人類が「日時計(オベリスク)」なるものを作ったのは紀元前2500年頃のメソポタミア文明の頃と言われています。
ちなみに・・
少し話しは逸れますが、人類の歴史は500万年とも言われていますが、この日時計の発見が、人類の歴史上物凄く大きな転換期になったとも言えます。
まず、この時間的概念を手に入れた人類は、1年というサイクルを上手に使い「農業」を発明をしました。
春に穀物の種を蒔き、秋に収穫する。
季節という概念を理解していないと農業はできません。
それまで人類は、どちらかと言えば野山を駆け回り、狩りをしてノマド的な生活をしていましたが、農業をする事によって「定住」するという生活スタイルに変化していきます。
定住した土地で上手に農業をして、穀物を沢山溜め込んだ者が、労働者を雇い、穀物を守る用心棒を雇います。
用心棒は軍隊となり、労働者は王や支配者の為に働く。
そして貧富の差が生まれていく。
そう、この時代で既に現在の私達の社会的構造の原型が出来上がってきてしまうんですね(余談でしたが)
ガリレオ・ガリレイの「振り子の等時性」の発見
話しは一気に16世紀後半まで駆け上がります。人類史上最高峰の天才の一人、ガリレオ・ガリレイが「振り子の等時性」を発見し、その発見を元に彼の没後、「振り子時計」が発明されます。
一言で言えば、振り子の周期が振れ角によらず糸の長さのみに依存するという性質です
簡単に言えば、それまで人類は極端な話、何千年何万年と太陽の動き、天体の周期性によってのみ「時」を感じていたものが、時計の針によって「今」を認識する事ができる様になったという事です。
逆に言えば、時計の針によって太陽の位置が分かるようになったという、人類史上画期的な発見だったという事なんです。
ニュートンの「絶対時間」という概念
更に時間を進め17世紀後半、こちらもまた人類史に残る偉大なアイザック・ニュートンが著者「プリンキピア(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica, 1687年発刊)」の中で、それまでとは違う更に一歩進んだ「時間」の概念を唱えました。
そう、この本に書かれているニュートン方程式を使えば、リンゴの落下運動から天体の運動までを統一的に扱えるという驚異的な発明をしたと言えるんですね。
更にニュートンは、この本の中で・・
決して狂う事もなく止まる事もない絶対時計(時間)を想定したのです。
つまり地球の時計が指す針の進み方は、宇宙のどこに居ようとも、その真実の現在時刻は絶対時計と同じ針を刺しているという事です。
一言で言えば・・
このニュートンの考え方は、現在でも僕達が日常的に感じる「時間」や「空間」に対する世界観とそう違わないと思います。
しかし「時間」に対する認識は、更に世紀の大天才により変化していく事になります。
アインシュタインの相対性理論
我らがアルバート・アインシュタインの登場です。(恥ずかしながら書斎のポスターです💧)
それまで何百万年と人類がぼんやりと過ごしてきた「時間」に、ニュートンが「絶対時間」という進んだ考えを取り入れましたが、ニュートンの「時間的概念」を根底から覆したのが・・・
アインシュタインの「相対性理論」です。
ざっくり説明すると、ニュートンが提唱した「絶対時間、絶対空間」を真っ向から否定して、時空とは観測者それぞれによって伸びたり縮んだりもしてしまう極めて相対的なものと言ったのです。
アインシュタインは「時間」についてこう説明しています。
運動してる物体は、時間の流れが遅くなる☝
もちろんこの理論は、僕達が地球上で生活してる際には、ほぼゼロの影響と言ってもいい。
一つ「相対性理論」の時間的概念を日本の昔話を例えに当てはめてみたいと思います。
亀を助けた太郎が竜宮城で数日遊び惚けて帰ってみると、帰り着いた故郷では数十年が経過していて、若いままの太郎とは対照的に弟はおじいさんになってるというお話です。
なぜ弟と歳が離れてしまったのか?
(太郎は歳をとらなかったのか?)
この話しをアインシュタインの理論に当てはめてみると、こうなります。
光速(宇宙最速の秒速30万km)で動く物体は理論上、時間が流れません。
宇宙船の中にいる太郎にとっては普通でも、地球上から弟(観測者)が太郎を見たら、きっとスローモーションに見えるのでしょう。
弟は歳をとり、光速の宇宙船で過ごした太郎の時間は止まっていたので歳をとらなかったという事です。
時間とは万人にとって同じように流れているのではなく、相対的なものなんですね。
なかなか実感し難い感覚ですが、アインシュタインの相対性理論は、現在の我々の日常生活でも活用するGPSの速度距離補正でも使われていたり、様々な実験から証明済みです。
「時間」の認識をまとめると・・
時間とは何かという本題に入る前に少しまとめておきたいと思います。
まずは人類が数百万年をかけ、到達した「時間の概念」とは・・
- 時間とは、川を流れる水のようなものではなく、物体の運動、重力に影響される
- 時間には始まりがあり、どうやら終わりもあるらしい
時間の始まりについては、今回、詳しくは触れませんでしたが、時空の指数関数的急膨張後の相転移により生まれた特異点、超高温超高密度のエネルギーの塊の爆発によって、この宇宙が誕生したとするビックバン理論、ビッグクランチ理論の文字リンク先をご参照下さい。
ビックバン理論などは理論物理学の世界では定説となってますが、これまで積み上げてきた宇宙における観測結果、実績を見ると、どうやら正しい理論である様に思われます。
それにしてもビックバンにより、時間も空間もない世界から私達の宇宙が生まれたというのは驚きです。
「時間」とは「意識」の中にある
突き詰めて考えてみたい。
今を生きる我々にとって、空間とは自由に移動できても、時間の流れを自由に変える事はできない。
インフレーション理論から考えると、時間とは空間と同じ様に、ただ広がっているだけという事になる。
膨張する3次元座標軸に直行して広がるもう一つの次元という事。
時間とは相対的なものであって、観測者がいてこそ流れができる。
観測者とはつまり我々だが、時間を「意識、認識」する者がいなければ、そこに時間の流れはない。
つまり時間とは主観的なものであって、客観的な時間の流れは原理上、その存在を証明する事は絶対にできない。
もし僕がある病にかかり植物状態になれば「意識」がなくなると同時に、僕から「時間」も消える。
諸行無常を突き詰めていけば、人類も早晩、絶滅するのもまた必然。
この世界から「意識」という存在がなくなった時、時間を認識する主体(観測者)が存在しないという事になる。
つまり「時間」もなくなってしまう。
広がり続ける宇宙空間の中で、最後のブラックホールが消滅した時、そこに残された時間と空間はビックバン以前の状態と何が違うのだろうか?
時間と空間も存在しない世界。
「意識」が存在しない世界。
また元に戻るだけ。
我々の宇宙は最初から存在しない・・
時間も空間も存在しない「超空間」
超空間・・・
我々の宇宙が消滅するであろう数百兆年という時間も、超空間にとっては水面に落ちる水滴が波紋を広げ、また静寂な「無」に戻るような一瞬の煌きなのだろうか。
もしかしたら超空間そのものが「胡蝶の夢」なのかもしれない。
それでも「時間」は流れ続ける
いつの日か「時間」という謎が全て解け、その本質を全て理解できても我々の目の前にある「今」は流れ続ける。
例え「時間」というシステムを応用し、過去に行き未来へ行けたとしても、我々の目の前には「今」しか存在しない。
「今」とは「意識」だ。
「意識」とは「今」だ。
それでは、その総体を指す「時間」とは一体何なのか?
「宇宙」が、「時間、空間、重力、存在」を司る総体であるならば、
いつの日か僕が人生を全うし、その「意識」が体から離れ大自然に溶け込み、宇宙に還った時・・
「時間とは何か?」
その答えが見つかるのかもしれない。
余談ですが・・(天才まだ〜?)
今回最初に、人類の「時間」という認識の概念がどう変化していったか見ていきましたが、思えば人類は近代にはいり、ガリレオ・ニュートン・アインシュタインとほぼ100年ごとに稀代の大天才を登場させてきました。
アインシュタインが三大論文 を発表した「奇跡の年(1905年)」から、もう既に100年が経過しています。
もう今年は2019年。
僕が生きている間に、人類がひっくり返るような発見ができる大天才が登場してくれる事を期待しています。
例えば量子力学から相対性理論、全宇宙全ての事象を説明できる統一理論の発表とか〜♪、「ヒモ理論」の証明とか〜♪
その人って・・
とんだ「時間」のムダでしたね・・💧
≪…寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って途切れまたつながり、それが組紐(くみひも)、それが時間・・ …≫は、「すうがくでせかいをみるの」のように数学の表現場の極座標と直交座標の行き来の風景だ。
自然数の数えるコト(数の言葉ヒフミヨ(1234))が直交座標の横軸の自然数の特異点で≪…指数関数的…≫で捉える[e]の肩の数(自然数(n))が実数化され、実数直線により直交座標が創生され原点(0)で直交する軸は区間「0 1]を包み込み実平面の直交座標の原点(0)は「e⁰]=1に平面(1×1=1)の正方形(□)の単位で構成され、数(トビトビ)直線の原点は左へ一つズレる。実数直線では、トビトビな自然数が実数化し、平面(2次元)数としては、「-1](i²=((√i)(√i))²)=-1)として実数直線に呈示する。
[0]の働き(作用)か?
極座標は、自然数の数えるコト(数の言葉ヒフミヨ(1234))を≪…このサイクルを1日と認識…≫で捉えると回転運動になる。
人(私たち)が1・2・3・4次元で閉じてい(計算でき)るのは、極座標の回転運動と直交座標の横軸の≪…指数関数的…≫による回収操作(ピストン運動)とのウマクウマク纏め上げているのを、
≪…それが組紐(くみひも) それが時間・・ …≫と観る。
数の言葉ヒフミヨ(1234)には、時間(意識)が隠れて(潜んで)いる。
「時間は存在しない」の[…自分たちが時間であることを悟り始める。わたしたちはこの広がり、ニュ-ロン同士のつながりのなかにある記憶の痕跡によって開かれた空き地なのだ。・・・ ― 記憶と期待によって開かれた空き地
― が時間なのだ。…] から、
「開かれた空き地」(時間(意識))を≪…とんだ「時間」のムダでしたね・・💧…≫をカラオケに浸る想いで…
[ドラえもんの歌]と「北空港」の本歌取りを見つける。
ヒフミヨえん
少しだけ不思議な
普段のお話
指先と机の間 二次元
落ちこぼれた一も
出来すぎの π も
同じ〇の下で
暮らした次元
そこに四次元
コンパスだって 点をずらして
震えながら 曲がりを叫ぶだろう
だから
ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても
世界を救おう
いつか
πが一から
必ず辿りつくから
π に会えるよ
あうんあうんあうんあうん
ヒフミヨえん
背中越しの過去と
輝く未来を
カオスの光で
今で繋ごう
阿吽で繋ごう
カオスな π も しずかな一(いち)も
ヒフミヨ唄 誰かを救うだろう
だから
ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても
世界を救おう
いつか
π が一から
必ず辿りつくから
π に会えるよ
あうんあうんあうんあうん
ヒフミヨえん
〇(円)だって 心を痛めて
i(あい)をこめてさよならするだろう
π が遺したモノ 探し続けるコト
浮かぶ空想から また数が生まれる
ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても
世界を救おう
いつか
π が一から
必ず辿りつくから
π をつくるよ
あうんあうんあうんあうん
ヒフミヨえん
円周率
〇の一 □に逢えて
カオスな一(心)に 灯りがともる
線(〇)と点(□)は一緒だよ もう コスモス(ヒフミヨ)だよ
なぞり逢おうよ
カオス(∞)を捨てて 時間さえ捨てて
i(アイ)が飛び立つ 一のi(アイ)
〇の一 □に惚れて
ヒフミヨ渦に π(円周率)が見える
信じてもいいですね ヒフミヨ放射だけ
命尽くすわ(数えきるわ)
カオス(∞)を捨てて 時間さえ捨てて
i(アイ)が飛び立つ 一のi(アイ)
〇の一 舞い散る数も
〇と◇で 咲く花になる
どこまでも一緒だよ もう離れずに
√(平面(夢))を探そう
カオス(∞)を捨てて 時間さえ捨てて
i(アイ)が飛び立つ 一のi(アイ)
今、コメントを見させていただいて正直震えましたよ。
この世界の真理が書かれてそうですね!
私には解読できなそうですが…… ひふよみさん一体何者????
ただのマッドスピリチュアーではないし、何かしらの物理定数の原理のように思えてしまう。
まさかこんなページに隠れているとは(汗)
暇な時に何度か読み返してみますよ🫨